経験豊富な教育者がコーチングと出会う時:「伝える」のその先へ
経験豊富な教育者が直面する「伝える」の壁
長年、企業研修講師や組織内教育に携わってこられた方々にとって、特定の分野に関する深い知識や豊富な経験は、何よりの財産でしょう。受講者に対し、自身の知見を分かりやすく体系的に「伝える」技術を磨き、多くの学びの場を創出してこられたことと思います。
しかし、時代と共に「学び」のあり方が変化し、受講者側も単なる知識の詰め込みではなく、自身の課題解決や実践的なスキル獲得、そして内面的な変化を求めるようになってきています。このような状況で、経験豊富な教育者の方々の中には、時に「伝え方には自信があるが、受講者の行動変容までなかなか結びつかない」「一方的な知識伝達になりがちで、受講者の主体性を引き出せない」といった課題を感じる方もいらっしゃるかもしれません。
ここで注目したいのが、コーチングの視点です。コーチングは、答えを与えるのではなく、問いかけや傾聴を通じて相手自身の中から答えを引き出し、自律的な行動と成長を促すアプローチです。このコーチングの考え方やスキルを、従来の「伝える」教育スタイルに統合することで、「教える」のその先にある、より深い学びと変化を伴走する教育が可能になります。
なぜ、今コーチング視点が教育者に求められるのか
従来の教育は、教師(教える側)が知っており、学習者(学ぶ側)が知らないという前提に基づき、知識やスキルを効率的に伝達することに重点が置かれてきました。これは基礎的な知識やスキルの習得においては非常に有効です。
一方で、成熟したプロフェッショナルや、既に多くの知識・経験を持つ受講者に対しては、単に新しい情報を「与える」だけでは限界があります。彼らは、持っている知識をどう活かすか、自身の経験と新しい情報をどう統合するか、不確実な状況でどう判断するか、といった、より高度な問いに直面しています。
コーチングは、まさにこのような「答えが一つではない問い」に対し、受講者自身が内省し、自身の経験や価値観と向き合い、自らの力で乗り越えていくプロセスを支援します。教育者がコーチングの視点を持つことで、以下のような変化が期待できます。
- 受講者の主体性の向上: 一方的に「教えられる」のではなく、「自ら探求し、気づきを得る」体験が増えることで、学びに対する主体性が高まります。
- 深い内省と行動変容の促進: 知識を「知る」だけでなく、自身の状況に照らし合わせて「どう活かすか」「何を変えるか」を深く考える機会が増え、具体的な行動変容につながりやすくなります。
- 個別最適な学びの支援: 受講者一人ひとりの状態やニーズに寄り添い、パーソナルな課題解決をサポートすることが可能になります。
- 「アンラーニング」の促進: これまでの成功体験や固定観念に気づき、手放し、新たな視点を取り入れるプロセス(アンラーニング)を支援できます。
経験豊富な教育者の方々が蓄積された専門知識や経験は、コーチングの「問い」によって引き出される受講者の内省と結びつくことで、単なる「知識伝達」を超えた、生きた学びへと昇華される可能性を秘めているのです。
企業研修や教育の現場でコーチング視点を活かす具体的な方法
では、具体的にどのようにコーチングの視点を教育現場に取り入れることができるでしょうか。いくつかの実践例をご紹介します。
1. 研修プログラム設計への応用
- 問いから始める: プログラムの冒頭で、受講者自身に「この研修で何を学びたいか」「どんな課題を解決したいか」といった問いを投げかけ、内省する時間を設けます。共通の問いへの回答を共有することで、互いの学習テーマへの理解も深まります。
- 内省の時間の組み込み: 一方的な講義だけでなく、学んだ内容について「自分自身にどう関係があるか」「どのように応用できるか」といった問いを立て、個人やグループで深く考える時間を意図的に設けます。
- 対話とシェアリングの促進: 単なる質疑応答ではなく、ペアワークやグループディスカッションを通じて、互いの経験や考えを「聴き」、新たな視点や気づきを得る機会を増やします。ファシリテーターは、議論を深める「問い」を提供することに注力します。
2. 研修中のファシリテーションにおけるコーチングスキル
- アクティブリスニング(積極的傾聴): 受講者の発言の背景にある想いや意図を丁寧に聴き取ります。単語や表面的な情報だけでなく、感情や価値観にも耳を傾けることで、受講者は安心して自己開示できます。
- パワフルクエスチョン(効果的な問い): 答えがイエス・ノーで終わるような質問ではなく、「もし〜だとしたら、どう感じますか?」「この状況で、最も大切にしたいことは何ですか?」「次に一歩踏み出すとしたら、それはどんな行動ですか?」といった、受講者の内省や視点の転換を促す問いを投げかけます。
- 承認とフィードバック: 受講者の発言や行動を認め、肯定的なフィードバックを行います。特に、内省や挑戦的な発言を引き出すためには、心理的安全性の確保が不可欠です。
3. フォローアップや個別対応での活用
- 研修後のフォローアップ面談などで、目標設定や行動計画の実行をコーチング形式でサポートします。「研修で立てた目標に対し、現在の進捗はどうですか?」「計画通りに進める上で、どんな課題がありますか?」「その課題に対して、あなたならどうアプローチできますか?」といった問いかけは、自律的な行動を促します。
これらの実践は、単に教育の「手法」を増やすだけでなく、教育者自身の「あり方」にも変化をもたらします。一方的に「教える立場」から、受講者の可能性を信じ、共に学びを探求する「伴走者」としてのスタンスへの変化です。
経験豊富な教育者だからこそできる、コーチングとのシナジー
長年の教育経験で培われた、対象者への深い理解、様々な状況への対応力、そして内容を分かりやすく伝える能力は、コーチングスキルと組み合わせることで、さらなる力を発揮します。
例えば、受講者が特定の課題で立ち止まっているとき、経験豊富な教育者であれば、その課題の背景にあるであろう典型的なパターンや、過去に多くの人が乗り越えてきたプロセスに関する「知識」を持っています。しかし、それをそのまま「教える」のではなく、その知識を「問い」に変換して受講者に投げかけることができます。「多くの人がこの段階で〇〇のような課題に直面しやすいのですが、あなたの場合はいかがでしょうか?」「過去に似た状況を乗り越えた人は、△△のような考え方や行動を取りました。もし、あなたが何か一つのアプローチを試すとしたら、何ができそうですか?」といった問いは、経験に基づいた洞察を含みつつ、受講者自身の探求を促します。
自身の豊富な経験を、受講者の「答え」を提示するためではなく、受講者が自身の「答え」を見つけるための「問い」や「視点」を提供するために活用する。これこそが、経験豊富な教育者がコーチングと出会うことで生まれる、強力なシナジーと言えるでしょう。
まとめ:『伝える』のその先へ、新たな教育の地平を拓く
教育者として長年のキャリアを積まれた皆様にとって、コーチングは既存のスキルや経験を否定するものではなく、むしろそれらを新たな次元で活かすための強力なツールとなり得ます。一方的な知識伝達に留まらず、受講者一人ひとりの可能性を引き出し、深い学びと自律的な行動変容を促す教育は、変化の激しい現代においてますます重要になっています。
コーチングの視点を取り入れることは、教育者自身の成長にも繋がります。受講者からの予期せぬ問いや気づきは、教育者自身の知識や経験を再認識し、新たな視点を得る貴重な機会となるでしょう。
ぜひ、この機会にコーチングを学び、教育者としての「伝える」スキルをさらに磨き、受講者と共に成長する「伴走者」として、新たな教育の地平を拓いてみてはいかがでしょうか。それはきっと、教育者としてのキャリアに、そして関わる人々の人生に、豊かな価値をもたらすはずです。