経験と直感に「問い」を重ねる:ベテランリーダーが磨く意思決定の解像度
経験に裏打ちされた直感と、不確実な時代における「問い」の価値
長年のキャリアを通じて培われた経験は、リーダーにとってかけがえのない財産です。特に意思決定の場面では、過去の膨大な情報や成功・失敗体験が統合され、瞬時に最適な解を見出す「直感」として発揮されることがあります。これは、多くの修羅場をくぐり抜けてきたベテランリーダーならではの強みであり、組織を迅速に前進させる上で重要な要素となります。
しかし、現代は変化が激しく、過去の成功パターンがそのまま通用しない場面も少なくありません。予期せぬ技術革新、市場の変化、多様な価値観の台頭など、リーダーは常に未知の課題に直面しています。このような状況下では、経験に基づく直感だけでは見落としてしまう視点や、前提としていた状況が既に変わってしまっている可能性も考慮する必要があります。
ここで力を発揮するのが、コーチングにおける「問い」の技術です。コーチングの問いは、単なる情報収集ではなく、思考を意図的に深掘りし、隠れた前提を顕在化させ、新たな可能性を探求することを促します。経験豊富なリーダーが自身の直感的な判断プロセスに「問い」を重ねることで、意思決定の解像度をさらに高めることができるのです。
直感の落とし穴と「問い」が照らす盲点
経験に基づく直感は強力ですが、以下のような「落とし穴」を伴う可能性も潜んでいます。
- 過去の成功体験への過度な依存: 過去にうまくいった方法論や思考パターンに固執し、現状の固有性や変化を見落とす。
- アンコンシャス・バイアス(無意識の偏見): 長年の経験や所属する組織文化の中で形成された無意識の偏見が、判断を歪める。
- 前提の見落とし: 判断の根拠となっている前提条件(市場状況、競合動向、社内リソースなど)が、知らず知らずのうちに変化していることに気づかない。
- 視野の狭窄: 過去の経験が豊富な領域に意識が集中し、関連性の低いと思われたり、経験のない領域で生じている重要な変化や新たな選択肢を見落とす。
コーチングの「問い」は、これらの落とし穴を避けるための強力なツールとなります。例えば、重要な意思決定を行う際に、コーチや自己コーチングとして以下のような問いを立ててみることができます。
- 「この判断の根拠として、最も強く影響している過去の経験は何だろうか?」 (過去の成功体験への依存に気づく)
- 「もし私がこの状況について全く予備知識を持たなかったとしたら、どのような点に注目するだろうか?」 (アンコンシャス・バイアスや前提の見落としに気づく)
- 「この判断によって最も大きな影響を受けるのは誰(どの部署、顧客、ステークホルダー)だろうか? その人たちの視点から見ると、この判断はどう映るだろうか?」 (視野の狭窄を防ぎ、多角的な視点を取り入れる)
- 「他に考えられる選択肢は全くないだろうか? 常識を破るような、突飛に思えるアイデアの中にもヒントはないか?」 (既存のフレームワークの外に目を向ける)
このような問いは、瞬時の直感を否定するのではなく、直感を「第一感」として尊重しつつ、その背景にある思考プロセスや前提を分解し、吟味することを可能にします。
経験と問いの統合がもたらす意思決定の深化
経験豊富なリーダーにとって、コーチングは「答え」を教えてもらう場ではなく、「より良い問い」を見つけ、自身の深い経験知を再解釈し、未来への羅針盤を研ぎ澄ませるためのプロセスです。直感で「こうだ」と感じた時こそ、意図的に立ち止まり、問いを重ねる勇気を持つことが重要です。
例えば、新規事業の推進において、長年の経験から「この市場は難しい」と直感したとします。そこで判断を止めるのではなく、コーチングの視点を取り入れ、「なぜ難しいと感じるのか?」「過去に成功しなかった要因は?」「今回はその時と何が違うのか?」「もし、この困難を乗り越える方法があるとしたら、それはどんな方法だろうか?」「そのために必要なリソースや視点は何か?」といった問いを深掘りします。
これにより、単なる過去の経験に基づく「できない理由」だけでなく、現在の状況をより正確に分析し、過去の失敗から何を学び、どのように異なるアプローチが可能かを探求することができます。直感で感じ取ったリスクを具体的に言語化し、それに対する対策を練ることで、意思決定の質は飛躍的に向上します。
チームへの波及効果と経験知の継承
経験豊富なリーダーが自身の意思決定プロセスに「問い」を取り入れる習慣を持つことは、チームにも良い影響を与えます。リーダー自身がオープンに問いを立て、多様な視点を取り入れる姿勢を示すことで、チームメンバーも安心して意見を述べたり、疑問を呈したりできるようになります。これは、心理的安全性の高い環境を醸成し、チーム全体の集合知を意思決定に活かすことにつながります。
また、自身の経験を「教える」だけでなく、「問い」を通じてメンバー自身の気づきや成長を促すコーチング的な関わりは、次世代リーダーの育成においても極めて有効です。単なる成功事例の伝達に留まらず、自身の経験を問い直し、その過程で得た思考プロセスや価値観を共有することは、形式知だけでは伝えきれない「生きた知恵」の継承となります。
最後に:経験と問いの調和を目指して
経験豊富なリーダーの直感は、長年の実践と学びの結晶です。それを否定するのではなく、コーチングの「問い」というレンズを通して多角的に見つめ直し、精緻化していくことが、不確実性の高い現代において、より複雑で高度な意思決定を行うための鍵となります。
自身の豊富な経験に謙虚に向き合い、新たな視点や可能性を常に問い続ける姿勢は、リーダー自身の持続的な成長を促すとともに、組織全体の適応力と創造性を高めることにつながるでしょう。ぜひ、日々のリーダーシップ実践の中で、意識的に「問い」を重ねる習慣を取り入れてみてはいかがでしょうか。