経験の語りを『問い』に昇華させる:ベテランリーダーが後進の成長を促すコーチング的アプローチ
経験の価値を最大限に引き出す:「語り」から「問い」への転換
長年のキャリアを通じて培われた経験は、何物にも代えがたい貴重な財産です。特に、組織の中でリーダーとして多くの挑戦を乗り越えてこられた皆様にとっては、その経験談一つ一つが、後進を育成し、組織に知恵を還元するための重要な資源であると感じられていることでしょう。
しかしながら、その豊富な経験を「教え」として一方的に語るだけでは、期待するほど相手の心に響かなかったり、自律的な学びや成長に繋がりにくかったりすると感じたことはありませんでしょうか。良かれと思って伝えたはずが、相手にとっては「昔の話」「正解の押し付け」と感じられてしまう。これは、経験豊富なプロフェッショナルが直面しやすい課題の一つかもしれません。
なぜ「語る」だけでは限界があるのか
経験談を伝えることは、特定の状況における「解」や「教訓」を効率的に伝える有効な手段です。特に時間がない場合や、明確な指示が必要な場面では力を発揮します。
一方で、リーダーシップ開発や個人の内省を促す文脈では、単なる「教え」には限界があります。その主な理由は以下の通りです。
- 受動的な学習になりやすい: 聞き手は情報をインプットするだけで、自分自身で考え、悩み、答えを見つけるプロセスが希薄になりがちです。
- 状況依存性が高い: 語り手の経験は特定の時代背景や組織文化、個人の特性に強く依存しています。聞き手の置かれた状況とは異なり、「そのままでは使えない」と感じられる可能性があります。
- 内省の機会が少ない: なぜ語り手がそのように考え、行動し、どのような学びを得たのか、その背景にある思考プロセスや感情を深く掘り下げる機会が失われます。
- 「正解」と思ってしまう危険性: 経験者の語りを「唯一の正解」と捉え、自ら試行錯誤する機会を放棄してしまう可能性があります。
経験談の価値は、それが持つ情報そのものだけではなく、その経験を経て語り手が何を学び、どのように変化してきたか、そして聞き手がその語りをどう受け止め、自身の状況に照らし合わせて何を考えるか、という対話的なプロセスの中にこそあると言えます。
経験談を「問い」に変えるコーチング的アプローチ
そこで有効となるのが、自身の経験談を「教え」としてではなく、相手の内省と成長を促す「問い」の材料として活用する、コーチング的なアプローチです。これは、一方的な知識伝達から、対話を通じた共同探求へのシフトを意味します。
自身の経験を「問い」に昇華させるプロセスは、自身の経験を客観的に見つめ直し、そこから本質的な学びや普遍的なテーマを抽出する作業でもあります。以下に、その基本的なステップと具体的なアプローチをご紹介します。
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経験の核を特定する: まず、自分が伝えたい経験談の中で、最も重要な学びやターニングポイントとなった出来事、困難、失敗、成功などを特定します。それは単なる出来事の羅列ではなく、そこから自分が何を感じ、何を考え、どう行動したのか、そしてその結果どうなったのか、というストーリーの核となる部分です。
- 例: 新規事業立ち上げ時の大きな失敗、困難な組織変革の推進、多様なバックグラウンドを持つチームのマネジメント、予期せぬ市場の変化への対応など。
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経験から得た「学び」を言語化してみる: その核となる経験から、自分が何を学んだのか、当時の自分に何を伝えたかったか、どのような「教訓」を得たと感じているのかを一旦言語化してみます。これはあくまで中間ステップであり、これをそのまま相手に伝えるわけではありません。
- 例: 「あの失敗から、準備の重要性とリスクヘッジの徹底を学んだ」「困難な組織変革には、粘り強い対話と小さな成功体験の積み重ねが不可欠だと痛感した」
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「学び」を相手への「問い」に変換する: 次に、言語化した「学び」や、経験の核となった状況、当時の思考プロセスなどを、相手に考えさせるような「問い」の形に変換します。ここで重要なのは、単なる知識確認の問いではなく、相手の内省を促し、自身の経験や考えと結びつけさせるような問いを作ることです。
- 例1(失敗談から): 「私が新規事業で大きな失敗をした時、〜という状況でした。あの時の私のように、もしあなたが予期せぬ困難に直面したら、まず何に意識を向けますか?」「私はあの時、準備不足を痛感したのですが、あなたが何か新しいことに挑戦する際に最も大切にしている準備は何ですか?」
- 例2(組織変革から): 「組織変革を進める中で、私は強い抵抗に遭い、対話の難しさを感じました。あなたがチームや組織に変化を起こそうとする時、どのような点に難しさを感じますか?」「対立する意見がある中で、どのようにして共通の理解点や進むべき方向を見つけようとしますか?」
- 例3(多様性から): 「多様なメンバーを持つチームを率いる際、価値観の違いから意見が衝突したことがありました。あなたが異なるバックグラウンドを持つ人々と協働する上で、最も大切にしていることは何ですか?」「意見の対立を、どのようにチームの創造性や成長に繋げられると考えますか?」
このように、自身の経験という具体的な「物語」を提示しつつ、そこから普遍的なテーマや課題を抽出し、それに関する「問い」を相手に投げかけます。
実践事例:経験豊富な研修講師が実践する「問い」の活用
例えば、研修講師として、またはかつて役員として部下を育成する立場にあった方が、リーダーシップ研修や個別面談でこのアプローチを用いる場合を想定します。
あるリーダー育成研修で、「過去の失敗から学ぶ」というセッションを行ったとします。従来のやり方であれば、講師自身の大きな失敗談を詳しく語り、そこから得た教訓を参加者に伝える形が一般的かもしれません。
コーチング的アプローチでは、まず講師自身の失敗談を簡潔に共有します。ただし、それを「教訓」として押し付けるのではなく、その失敗に至った状況や、当時の自分の思考、感情などをありのままに語ります。そして、以下のような問いを投げかけます。
「私がこの失敗から学んだのは、『仮説検証のサイクルを速く回すことの重要性』でした。皆さんは、これまでのキャリアで『これは失敗だった』と感じている経験はありますか?その経験から、どのような学びを得られましたか?」「もし、あの時の私にアドバイスをするとしたら、どのような言葉をかけますか?それはなぜですか?」
このような問いによって、参加者は講師の経験談を自分自身の経験と照らし合わせ、共通点や相違点を見出し、自分自身の言葉で学びを言語化する機会を得ます。講師の経験談は、参加者自身の内省を深め、新たな気づきを得るための「触媒」となるのです。
経験の語りを「問い」に昇華させることの価値
このアプローチは、語り手であるベテランプロフェッショナルにとっても、大きな価値をもたらします。自身の経験を客観視し、「問い」の形に落とし込む過程で、経験が持つ本質的な意味や学びを再発見し、言語化することができます。これは、自身の「暗黙知」を「形式知」へと変換し、自身の思考を深める機会ともなります。
また、一方的に教える立場から、相手の成長を支援するファシリテーターやコーチとしての関わり方にシフトすることで、より深いレベルでの信頼関係を築くことが可能になります。相手からの率直な意見や異なる視点に触れることで、語り手自身も新たな学びを得る「逆コーチング」のような効果も期待できます。
長年の経験によって得られた深い洞察や知恵は、単に伝達されるだけでなく、他者との対話の中で「問い」として機能させることで、その価値を何倍にも高めることができます。ぜひ、皆様の豊富な経験を、後進の自律的な成長を促すパワフルな「問い」へと昇華させることに挑戦してみてください。それは、きっと皆様自身のリーダーシップをさらに深める旅にも繋がるはずです。