「長年の勘」を後進に伝える:コーチングで「暗黙知」を「形式知」に変える方法
経験が語る「暗黙知」の価値と共有の壁
長年にわたりビジネスの第一線で活躍されてきた皆様は、多岐にわたる経験を通じて、教科書には載っていない、あるいは言語化しきれない貴重な知恵、すなわち「暗黙知」を蓄積されています。この「長年の勘」や「肌感覚」とも呼ばれる暗黙知こそが、複雑な状況下での的確な判断や、人間関係における機微への対応を可能にしてきました。
しかし、この貴重な暗黙知をいざ他者に伝えようとすると、しばしば困難に直面します。「どう説明すれば伝わるのだろうか」「当たり前すぎて、何を話せば良いか分からない」「教えても、相手が腹落ちしてくれない」といった壁を感じることはないでしょうか。これは、暗黙知が個人の経験に深く根ざしており、そのままでは他者が理解・再現しにくい「形式知」になっていないためです。
皆様が培ってきた経験と知識を次世代に還元し、組織全体の力としていくためには、この暗黙知をいかに形式知化し、効果的に共有するかが重要な課題となります。そして、その鍵を握るのが、コーチングの視点と手法です。
「暗黙知」とは何か、そしてなぜ共有が難しいのか
「暗黙知」とは、経験を通じて獲得される個人的な知識で、言語化や構造化が難しいものを指します。これに対し、「形式知」は、文書やデータ、マニュアルなどで表現・共有できる客観的な知識です。
ビジネスの現場における暗黙知の例としては、以下のようなものが挙げられます。
- 状況判断の直感: データだけでは読み取れない市場の変化や顧客の心理を察知する能力。
- 人間関係の機微: チームメンバーや関係者の本音を見抜く、信頼関係を築くための微妙な対応。
- 問題解決のプロセス: マニュアル通りの手順ではない、状況に応じた柔軟な対応や迂回路を見つける力。
- 非言語コミュニケーションの理解: 相手の表情や声のトーンから隠された意図を読み取る力。
これらの暗黙知は、成功や失敗を繰り返す中で身体に染み付いたものであり、ご本人にとってはもはや「考えている」というより「感じている」「見えている」といったレベルになっていることも少なくありません。
だからこそ、他者に伝えようとした際に、そのプロセスや判断基準を言語化することが難しくなります。また、受け手側も、単に結果や表面的な手順だけを聞いても、その背景にある思考や感覚を理解できず、自身の血肉とすることが難しいのです。
コーチングが「暗黙知」の形式知化・共有を助けるメカニズム
ここでコーチングのアプローチが有効になります。コーチングは、答えを教えるのではなく、相手の内側にあるもの、あるいは無自覚な部分に光を当て、「引き出す」プロセスです。この「引き出す」力が、暗黙知を形式知化し、他者と共有する上で強力なサポートとなります。
具体的には、コーチングのどのような側面が役立つのでしょうか。
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「問いかけ」による言語化の促進: コーチは、表面的な話のさらに奥にある考えや感情、判断の根拠に対して、意図的な問いを投げかけます。「その時、あなたは具体的に何を考えていましたか?」「なぜ、その選択肢を選ばなかったのですか?」「その決断の背景には、どのような経験がありますか?」といった問いは、ご自身の無意識下に眠っていた経験や思考プロセスを掘り起こし、言語化するきっかけとなります。これは、自身の暗黙知を自身で形式知化する「自己コーチング」のプロセスとも言えます。
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「傾聴」による情報の引き出しと構造化: コーチは相手の話を注意深く聴き、言葉の選び方、表現のトーン、話の文脈などから、暗黙知の手がかりを探ります。そして、断片的に語られた経験や思考を結びつけ、パターンや構造を見つけ出す手助けをします。これにより、ご自身でも気づいていなかった自身の「思考の癖」や「成功のパターン」が明確になることがあります。
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「承認」と「フィードバック」による自己認識の深化: コーチからの承認や客観的なフィードバックは、ご自身の経験や思考の価値を再認識することを助けます。これにより、自身の暗黙知に自信を持ち、それを他者に共有しようという意欲が高まります。
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「相手中心」のアプローチ: コーチングは、常に相手の成長や気づきに焦点を当てます。暗黙知を共有する際にも、一方的に知識を押し付けるのではなく、「相手にとって何が必要か」「相手が経験から何を学べるか」という視点を持ち込むことで、相手自身の気づきや学びを促し、形式知が相手の行動変容に繋がるようにサポートします。これは、暗黙知を「伝える」だけでなく、「相手が活用できるようになる」ことを目指すアプローチです。
暗黙知の形式知化・共有に向けたコーチング的実践
では、具体的にどのようにコーチングの手法を日々の実践に取り入れれば良いでしょうか。
自身の暗黙知を掘り下げる「自己コーチング」
- 経験の棚卸し: 過去の重要な判断や成功・失敗経験を振り返り、その時々に「何を考え」「何を感じ」「何を基準に行動したのか」を詳細に書き出してみる。特に、「なぜかうまくいった」「理由はないが嫌な予感がした」といった直感的な部分に注目する。
- ジャーナリング: 日々の業務の中で、意識せずに行っていること、当たり前だと感じていることに意識を向け、メモを取る習慣をつける。後から見返すことで、自身の無意識的なパターンに気づくことがある。
- 問いかけリストの作成: 自身の専門領域における「なぜそうなるのだろう?」「もし〇〇だったらどうなる?」「この状況で最も大切なことは何?」といった問いを立ててみる。これらの問いは、自身の知識の盲点を突いたり、新たな視点をもたらしたりする可能性がある。
他者の暗黙知を引き出す対話
- 具体的な状況を深掘りする質問: 「あの時、最初に何に気づきましたか?」「次にどのような選択肢が頭に浮かびましたか?」「その選択肢の中から、今の判断に至った決定的な理由はどこにありますか?」のように、過去の具体的な行動や思考プロセスを辿る質問を投げかけます。
- 感情や感覚に焦点を当てる質問: 「その時、どのような気持ちでしたか?」「何か嫌な予感のようなものはありましたか?」「それは、過去のどのような経験と似ていますか?」のように、論理だけでなく、感情や感覚といった言語化しにくい部分にアクセスする質問を試みます。
- 比喩やアナロジーを促す: 「それは、例えるならどのような状況に近いですか?」「もし、この状況を色に例えるなら何色でしょう?」のように、直接的な言語化が難しければ、別の表現方法を通じて理解を深めます。
形式知化した知識の伝達における「引き出す」視点
自身の暗黙知を形式知として整理した後、それを他者に伝える際にもコーチングの視点は有効です。一方的に講義するのではなく、相手に問いを投げかけながら、その知識が相手自身の経験や既存の知識と結びつくように促します。
例えば、「この知識を使って、あなたの担当している〇〇の課題にどう応用できそうですか?」「もし、この状況にあなたが直面したら、私がお話しした内容のどの部分が役立ちそうですか?」といった問いは、受け手が知識を自分事として捉え、実践への応用を考えるきっかけとなります。
読者への示唆:経験を新たな形で輝かせるために
皆様が長年培ってこられた経験と、そこから生まれた「暗黙知」は、まさに宝の山です。これを意識的に掘り下げ、コーチングの手法を活用して形式知化し、他者と共有することは、皆様自身の学びをさらに深めると同時に、次世代の成長や組織全体の力の向上に大きく貢献します。
自身の暗黙知に向き合うプロセスは、自己理解を深め、自身の強みやパターンを再認識する機会にもなります。そして、それを他者と共有することで、新たなネットワーキングが生まれたり、自身の経験を活かしたメンターやコーチとしての道が開けたりする可能性もあります。
結論:経験とコーチングの融合が拓く新たな地平
経験豊富なリーダーシップとコーチングの視点を融合させることは、「暗黙知」という貴重な資産を最大限に活かすための強力なアプローチです。自身の内側にある知恵を引き出し、他者と共有することで、皆様の経験は新たな形で輝きを放ち、周囲にポジティブな影響を与え続けるでしょう。
この「コーチングで変わる!私のリーダーシップ」コミュニティが、皆様が自身の暗黙知を探求し、他者と共有し、共に学びを深める場となることを願っております。