ベテランの「知恵」を『共に探求する問い』へ:コーチングが拓く経験伝承の新機軸
経験豊富なリーダーが持つ「知恵」の価値
長年のキャリアを通じて培われた経験と知識、そこから生まれる洞察や「知恵」は、組織にとってかけがえのない財産です。特に、重要な意思決定を下してきた元役員や、多様な人材育成に携わってきた企業研修講師といったプロフェッショナルの方々は、多くの引き出しをお持ちのことでしょう。
こうした豊富な「知恵」を次世代に伝え、組織全体の能力向上に貢献したいと考えるのは、多くの経験者が抱く自然な願いではないでしょうか。しかしながら、その伝達方法については、しばしば課題が伴います。
一方的な知識伝達の限界
これまでの多くの経験伝承は、ベテランが話し、若手が聞くという一方通行の形式で行われることが一般的でした。「私が若い頃はこうだった」「この場合はこうすべきだ」といった助言は、確かに役立つ場面もあります。しかし、時代背景や状況が異なる現代において、過去の成功事例がそのまま通用するとは限りません。また、一方的に答えを与え続けることは、受け手自身の考える力や、変化に適応する力を育む機会を奪ってしまう可能性もあります。
特に、自律的な成長が求められる現代においては、単なる知識の伝達を超え、「なぜそう考えたのか」「当時の状況から何を学び取れるのか」といった、思考のプロセスやそこから生まれる「知恵」の本質をいかに共有するかが重要になります。
「知恵」を「問い」に変えるコーチング的アプローチ
ここでコーチングの視点が非常に有効になります。コーチングは、相手の中に答えがあるという前提に立ち、適切な「問い」を投げかけることで、相手自身の気づきや自律的な思考を促すコミュニケーション手法です。
ベテランの「知恵」を伝える際に、このコーチングの視点を取り入れることで、一方的な「知識の注入」から、「共に探求する学び合い」へと質的に転換させることが可能になります。つまり、ご自身の経験を「答え」として提示するのではなく、「問い」の形に再構成して相手に投げかけるのです。
例えば、「私がこのプロジェクトで最も難しさを感じたのは、関係者間の合意形成でした。〇〇さんなら、このような状況でどのような点に注意して進めますか?」のように問いかけることで、相手はご自身の経験に照らし合わせながら、具体的な思考を巡らせることができます。
経験談を「問い」に昇華させる実践方法
では、具体的にどのように自身の経験談を「問い」に変え、後進の成長を促す「知恵」として活用できるでしょうか。
-
経験の背景と思考プロセスを言語化する: 単に「成功しました」「失敗しました」という結果だけでなく、なぜその行動を取ったのか、どのような選択肢があり、なぜその選択をしたのか、その時の感情や周囲の状況はどうだったのか、といった背景と思考プロセスを深く振り返ります。これが「問い」を生み出す土台となります。
-
経験の本質を抽出する: 特定の状況に依存する表面的なノウハウではなく、普遍的な教訓や原則(例:「困難な状況でも粘り強く交渉する重要性」「多様な意見を取りまとめる際の注意点」など)を抽出します。
-
抽出した本質を「問い」に再構成する: 抽出した本質を、「もしあなたが同じ状況なら、どのような点を考えますか?」「この経験から得られる普遍的な教訓は何だと思いますか?」「今のあなたの課題と、私のこの経験にはどのような共通点があるでしょうか?」といったオープンな問いに変えます。
-
対話の中で「問い」を投げかけ、傾聴する: ご自身の経験談を語る文脈でこれらの問いを自然に投げかけ、相手の答えをじっくりと傾聴します。すぐにフィードバックするのではなく、相手が十分に考え、語るのを待ちます。
-
相手の答えからさらに「問い」を深める: 相手の答えに対して、「それは具体的にどういうことですか?」「なぜそう考えたのですか?」「他にはどのような可能性が考えられますか?」といった、さらに思考を深める問いを重ねていきます。
コーチングによる「知恵」伝承がもたらすもの
このコーチング的なアプローチによる経験伝承は、単に後進に知識を伝える以上の効果をもたらします。
- 後進の自律的な思考力・問題解決力の向上: 自分で考え、答えを見つけ出すプロセスを通じて、応用力や実践力が養われます。
- 経験知の多角的な活用: 過去の経験が、現在の多様な課題解決のための思考ツールとして活用されるようになります。
- 世代間の相互理解とリスペクト: ベテランは一方的に教える立場から、共に学び、探求するパートナーとなり、信頼関係が深まります。
- ベテラン自身の学びと内省: 自身の経験を「問い」の形で整理し、相手の多様な解釈に触れることで、自身の「知恵」を再定義し、新たな視点を得る機会にもなります。これは、アンラーニングや自己刷新にも繋がる重要なプロセスです。
まとめ
ベテランリーダーが持つ豊富な「知恵」は、一方的な知識伝達という従来の枠を超え、コーチングの「問い」に変えることで、後進の自律的な成長を促す強力な触媒となります。自身の経験談を「答え」として語るのではなく、「共に探求するための問い」として投げかける新しい経験伝承の形は、個人と組織の双方に豊かな学びと成長をもたらす可能性を秘めています。
ぜひ、皆様が培ってこられた貴重な「知恵」を、コーチングの視点から見つめ直し、次世代と共に未来を切り拓くための「問い」へと昇華させてみてはいかがでしょうか。